「あ、昨日だったんだ」
って思ったのは20日の朝でした。19日はファイターズの試合がなかったから野球も見てなかったし。その日がいつかなんで調べてもなかった。どこかで「My Hero」が流れてたなんて知らなくて。
ぽちぽちとウェブのニュースを観ていたら、栗山さんが球場に行ったとか、稲葉監督が本人より泣いてたとか、ビデオメッセージには大エースからのものもあったとか。
コメントなんかで、「お疲れ様でした」みたいな言葉を見て、たぶんそれは、ただのプロ野球ファンのものもあれば、巨人ファンやファイターズファンのものも混ざっていたように思う。
わたしは、ずっと「すっきりしないまま」だった。
もう自分でも驚くほどに拗らせてしまっている……。
結局何も語られないままだったこと、あの時の球団の対応にも。移籍先での活躍も何となく薄目で見てたし、札ドの打席に立った時もとてもじゃないけど「おかえりなさい」なんて気持ちにはなれなかった。
中田翔が引退を決意したというニュースを見た時、あーあ、本当なら何を置いても見に行って、背番号6のユニフォームを抱きしめて、ビーグルクルー生歌のMyHeroに全身の水分が抜けちゃうほど泣く予定だったのにな……って思ったのは、あの事件で中田翔がファイターズを去った時と変わってなくて。
でも、わたしもちゃんと「翔さん、お疲れ様でした」って言いたい。
だから吐き出します。そんな記事です。
とは言え、何から話せばいいものか……。
わたしがファイターズの試合を全試合見始めたのは2012年頃からだったかな。
子どもの頃から野球は好きだったけども、改めて細かいルールを覚えて、定石を学んで、わたしに野球を教えてくれたのは栗山野球でした。そんな栗山監督が「向こう10年、オーダーを書く時に迷わない4番を作る」と言ったのが中田翔でしたね。
何となくまだ夢見がちで、妄信的に「4番」を神格化していた気がします。
レフトを守っていた頃に、他の外野2人(陽、糸井)と比べては一段落ちるような印象だったのか、捕殺王を取ったこともありました。そこでわたしは「捕殺」と「刺殺」の違いを知ったし。
開幕から何試合もヒットが出なくて苦しんだこともあったし。
何だかんだ面倒見が良いところも、実はとー-っても歌が上手いところもあったし。
金子誠が引退を表明した日にサヨナラHRを打って、あれが100打点目で、あの年は打点王だったかな。今は中学生になった姪っ子がまだ3歳くらいで、誕生日のその日をレフトスタンドで迎えてて(わたしはいなかったけど)、「誕生日に中田翔がサヨナラHR打ったのを現地で観てたってずっと自慢していいよ。笑」なんて言ってたこととか。
仕事が忙しくてメゲてた3月のある日の朝、一緒に暮らしてた文鳥を亡くして……その日は開幕戦で。行かないかなとも思ったけど、やっぱり札幌ドームに行った。そんなある一日の結末は、中田翔のサヨナラ満塁HRだったとか。
平日ナイターのバックネット裏のチケットを貰って、岸投手対メンドーサ投手だったかな。序盤から劣勢だったのに、みんなで頑張って追い上げて、終盤……当時の3番が陽選手だったかなあ。ネクストに中田翔の姿が居なくて、矢野謙次が居て。追い上げムードに盛り上がるドームで、わたしは「翔さんが居ない!」って動揺しながら泣いていた……あれは、15連勝の1勝目だったかね。
いつだったか、開幕戦のウェルカムハイタッチで中田翔に当たったこともあったなあ。
プロ野球選手としての中田翔の成績はググればいくらでも出てくるんだけど、
たぶん、きっと、みんな何かしら「自分にとっての中田翔の思い出」を持ってるんじゃないかと思います。
MyHeroが大好きで。
何が大好きって、「敗けるはずないと、信じてる」の一文。

「信じる」ってそんなに簡単なことじゃないんですよ。軽い意味も重い意味も込められる言葉だけど、「信じる」というのは「裏切られる覚悟を持てる」ってこと。
野球だから、打てる日も打てない日もあって、どれだけ気持ちが入っていても相手が上回る時だってあるし。
野球における「信じる」とは、「その人でダメでも納得できる」ということ。
わたしにとって、「中田翔が打てなくて敗けても納得できる」存在だった。
↑のボードを持って現地してるワタシが中継に映って、打席に立つ翔さんと重ねて貰ったこともあったはず。(結果は凡退でしたけどね。笑)
そんなことを書きながら、引退セレモニーを観ました。
歌って凄いなあ。MyHeroを口遊んだのは、あの日以来初めてでしたよ。
……気付いたことが2つあります。
「中田翔のことをよろしく申し上げまして、引退の挨拶とさせて頂きます」
稲葉監督の引退時の言葉ですね。
2014年だっけ。札幌ドームの片隅で聞いたあの言葉は、呪いだったんだ。
中田翔を信じる、応援するという気持ちには、どこかに、大好きな稲葉さんが「よろしくお願いします」って言った、よろしくお願いされた!!!という呪縛みたいなものが、あったように思います。
ほっといても勝手に野球道を突き詰めていくタイプじゃなくて、どこか繊細さというか脆さがあって、応援が必要な選手だと何となく気付いていたのはわたしだけじゃないはず。
だから、翔さんがキャンプでカートに乗って遊んでるインスタ投稿で叩かれた時も、「ごちゃごちゃうるせーよ!翔さんはウチの4番だぞ!!!」って記事を書いた記憶があるし。
稲葉監督ってば、翔さん本人より泣きながら、引退するって言ってる選手にまで「ちゃんと感謝しなさい」なんてこの期に及んでお兄さんぶって。そんな稲葉監督がちゃんと選手としての中田翔を見送れたなら、あの時の「よろしく」は、もう……いいですよね。
どうしようもなく拗れた気持ちがひとつ解けた気がします。
わたしは野球が大好きで、ファイターズが大好きで。
ファイターズの4番だから、中田翔に心を預けていた。
「ファイターズの4番」じゃなくなった中田翔を受け入れられなくてずっとモヤモヤしたままだった、ということ。「大好きなチームの4番としての存在」と、「他球団にいるなんか凄いスラッガー」という2つの形容を、どうしても中田翔ひとりに集約できなかったということ。
暴力事件でファイターズを去ったあの日、わたしの応援していた中田翔はもういなくなったんだ。
いま、引退セレモニーをアーカイブで観た人は、「かつて応援していた人」なんだ。
そして、わたしは、中田翔のプロ野球生活全体に対して何かを思う必要なんてなくて、
中田翔を心から応援していた気持ち、ファイターズの4番であった事実に対して、思っていいんだ。
ありがとう、お疲れ様でした。
って。
ファイターズの6番のユニフォームを抱きしめて現地、じゃなかったけど、
家でアーカイブを観ながらMyHeroを口遊んで、気持ちを吐き出して、それでもいいかと今は思えます。

しかし引退セレモニー……誰ひとり薄っぺらい言葉を発してなかったなあ。
清宮選手の良い子っぷりも際立ってるし、ダルビッシュ投手にとっても栗山さんにとっても、本当に、手のかかる、どうしようもなく愛おしい存在だったんだろうな。
たぶん、わたしにとっても。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。







